諸岡江美子さん

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人と人とのつながり、暮らしそのものが楽しい!

移住年月
2015年4月~
今の職業
民泊運営とECメディア編集
出身地
千葉県

築150年の古民家に住み、「Classic Lab」という屋号で民泊やワークショップを主宰。そのほか、近隣市町村の仲間とECメディア「雪の日舎」を運営し、津南町をはじめとする雪国でつくられたものを販売したり、地域の素敵な取り組みや人を紹介したりしている。
また地域おこし協力隊時代から一緒に活動している「三箇地区都会との交流を進める会」と連携し、移住体験ツアーや交流事業のサポート、町内での短期バイトや単発の仕事を受けるなど、地方での複業を楽しむ。
雪国のあるものを生かす知恵や暮らしに惹かれ、畑で野菜を育てたり、藁細工をはじめとする手仕事や保存食の作り方などを、地域の方から教えてもらうじかんが一番の楽しみ。夫は車で1時間ほど離れた場所に住み、行ったり来たりの暮らしをしている。

移住しようと思ったきっかけは?

もともと保育士の仕事をしていたんですが、自然保育や森のようちえんなど子どもの野外活動を勉強するため、津南に来る前の1年間、妙高にある専門学校に通っていたんです。新潟に来たきっかけは、行きたい学校があったというだけなんですけど、1年生活していたら新潟の暮らしがすごくおもしろくなってきて、1年で学校を終わった後、地元の千葉に帰るのではなくて、もうちょっとこっちにいたいなぁと思ったんです。そのとき、また全然違う地域に行くよりは、周辺地域がいいと思って、新潟と北信地域で探していました。

なぜ津南町を選んだのでしょうか?

そのとき新潟県内で地域おこし協力隊を募集していたのが、津南、村上、粟島だけだったんですけど、妙高にいたときから、遠くて下越は行ったことがなくて。知らない土地すぎるし、島はハードルが高かったので、津南町を選びました。
妙高に残ろうという気持ちもあったんですけど、妙高は協力隊の募集がなくて。他の求人も見ていたんですけど、あんまりしっくり来なかった。それで最終的に津南にしたんです。
津南にしたもうひとつの理由は、そのとき協力隊を募集していた三箇地区の募集内容が、都市との交流や子どもに関わる活動内容だったことです。田舎が好きで都会がすごく嫌いなわけではなかったので、「都会と田舎の交流」は自分のやりたいことともマッチしていて、いいなと思いました。
でも実は、妙高に来る前は、津南のことはまったく知らなかったんです(笑)。豪雪のニュースで聞いたことあるかも…くらいで、妙高にいるときも名前は聞いたことあったかもしれないけれど意識していませんでした。

津南に残ろうと思ったきっかけは?

地域おこし協力隊になった当初は、3年の期間が終わった後も残ろうとは決めていませんでした。まったく知らない土地に行くのに、ここに一生住もうと思わないじゃないですか。だから、協力隊の目的の1つにある「定住や定着を目指す」というのが、自分では結構ネックで、定住しないといけないのかなというのがプレッシャーでした。面接のとき、「津南に興味はあるけど、定住できるかどうかは正直分かりません」と言ったら、地域の世話人のかたが、「そこまでは求めないよ。地域に残るかどうかは、地域のほうが残れる環境や仕事を作れるかというところもあるし、他の場所に行くにしても、ここに来たことがよかったと思えるのなら、違う道に進むとしても、それはあなたの人生なので応援します」と言ってくれたことが大きかったです。できれば住んでもらいたいのに、ひとりの人の人生として尊重してくれる人だなと思って。信頼できるかたが地域にいるのだなということが大きかったですね。

協力隊として1年半を過ぎたころから、どうしようか考え始めていました。協力隊の任期は最長3年ですが、1年ごとの更新なので、2年で辞めてもいいかな、とも思っていたんです。他の仕事で地域にいられるのなら辞めてもいいかな、て。 今住んでいるこの家は間借りだったんですけど、もともと住んでいたかたが亡くなって、大家さんから壊したいという話をずっと聞いていたんです。でも、これだけの古民家で、状態もすごく良いし、潰してしまうのはもったいないので何とかできないかなぁと思っていました。津南に残るなら家―――拠点が必要だと思っていたのと、夫とも別居でもいいので結婚しようという話があって、いろいろなタイミングが合ったのが2年目の終わりでした。

残ろうと思った一番の理由は、顔の見える関係が出来ていたことですね。ここを離れたら、遊びに来ることは出来るけど、この人にちょくちょく会えなくなるなぁとか。すでに3年間で築いていた地域の人との関係もあったし、協力隊の活動外でもいろんな仲間ができていて、一緒に何かやろうという話もあったので、津南にいたほうがいろんな可能性が広がるかな、と思って。ちょうど仕事のお誘いもこの辺でもらっていたので。

あと、地域の人がすごくおもしろかった、というのもあります。おじいちゃん、おばあちゃんがわら細工をしたり、自分が食べるものをみんな作っていたりすることが、単純にすごいと思って。保育士時代、給食に出ているお米や野菜がどこでどういうふうに出来ているか、都会暮らしでまったく知らなくて、それを子どもたちに伝えるのに、自分が分からないことは伝えられないと思っていて、自分がやってみたいという気持ちがありました。子どもに関わる仕事に戻るにしても、自分自身がもっと豊かな人間になりたいというか、いろんなことを実感として得ていきたいなというのがそのときの気持ちです。 単純におもしろくて楽しかったので、もっとこっちにいたいと思いました。

移住してみて楽しいこと

暮らしが楽しいという感じ。それが楽しいからここにいたいというのが強いです。畑で野菜を作るとか。都会にいたときは、暮らしている感覚がないんです。何でも買ってきていて、料理するのでも全部お店から買ってきているので。それがこっちだと自分で作ったり、作っていなくてもいただけたりして、これは誰が作っているお米だとか、顔が見えておもしろい、いいなぁと思っていて、それが日常で毎日いろんなことがあるのが楽しいですね。

移住して苦労したことは何ですか?

そんなにすごく苦労したことはないですが、ひとつ挙げるとしたら、ここに限ったことではないと思うんですけど、地域のルールが分からなくて、初めはどうしたらいいのだろうと思うことはありました。いろんな会があって、休みの日だけどみんな集まっていて、これは私も行った方がよかったのかなとか、分からなかったです。何に出て何に出なくて良いのか分からないし、道普請とかも割と急に言われるので戸惑いました。それも暮らしていくうちに、雪消えのタイミングや草の伸び具合などで直前まで決められないことだと、今では分かるようになりました。
これから入ってくる人には、こういうところをフォローしてほしいなと思います。そこが互いに理解し合えなくてトラブルになるとも聞くので。地域にはどんな共同作業があって、時期はいつくらい、これは全員出るもの、これは関わる人だけとか。こんな役があって、順番で回っているよとか。都会では公民館の掃除くらいはあるけれど、道普請とかせぎの泥上げとか、全くないものもあります。だからはじめはなんでそれをしないといけないのかわからないんですよね。でも理由がわかれば、納得できます。みんなで集落を維持しているから、私もここで暮らせるんだということがわかれば、共同作業だって楽しいですよ。一番のコミュニケーションになりますし、地域のことも教えてもらえる。私は結構楽しみにしていました(笑)
そういうすれ違いって、割とコミュニケーション不足というか、お互いに分からないことを聞けないだけなのかなと思います。

雪で苦労しないか聞かれませんか?

妙高に来た年が一番降っていました。寮の周りは除雪してくれるけれど、車を外に停めていたので、車も見えないし車に行くまでも腰くらいまで雪が積もっていて大変でした。だから、津南に来るときに雪の心配はなかったです。妙高時代、スキー場のアルバイトで、一日中リフト周りの雪を掘る仕事をしていたので、そんなものかなと思っていました。
今は、家の前に水が流れているし、屋根も落雪なので掘らなくてよいから、周りの雪が屋根につかないように維持するだけ。津南に来てからのほうが雪を掘っていないです。スノーダンプを使っていますが、近所の人が除雪機で飛ばしてくれたり助けてくれたりするので有難いと思いますね。

現在のライフスタイルは?

個人事業主として、ここで民泊の受入れや雪国の知恵を学ぶようなワークショップをやっていて、平日はワークショップのほかに、十日町市の農家さんのECメディアの編集をやらせてもらっています。
民泊は、観光で来るお客さん向けというより、もっと深く地域に入りたい人や観光地に行かなくてもここに泊まってゆっくりしたい人を対象にしていて、旅行サイトにも出さず、基本的には金土日にしています。
料理の提供はないので、自炊か外食、買って来てもらうかなんですけど、自炊する場合は、近所の人が作ったお米とうちで作った野菜といった食材を提供して、一緒に作ります。
お客様の目的はいろいろで、どこか観光に行く人もいますが、みなさんおっしゃるのが、「旅行に行っても予定を詰め込んでゆっくりすることがないからゆっくりしたい」ですね。
あとは、集落を案内してほしいという若い方がいますね。「都会暮らしが良い」価値観ではない若い子は、近くの集落とか地元の人と交流したい人もいるので、誰かしらに声をかけてお茶飲みさせてもらったりとか、案内したりすることが多いかな。ここは集落の人しか車が入ってこないのですごく静かなんですよ。

ズバリ!田舎暮らしを楽しんでいますか?

楽しんではいるかなと思います。田舎暮らしは人によってイメージが色々なので分からないですけど、畑をやるのも楽しいし、自然の近くににいるというのが心地よいので、それはやっぱり楽しいですね。心身ともにというか。
あとは今、田舎暮らしと言ってもそんなに不便ではないと思います。東京も3時間で行けるし、コンビニもあるし、WiFiもあってネットもつながるし、そういう部分では、ちょっと前までの田舎暮らしのイメージはないです。買物はネットで出来るし、たまに東京に行ったときに買えばよい。それがどっちもできるから楽しいかなとは思いますね。あえていえば、面白い本屋さんと雑貨屋さんがあると嬉しいです。

移住希望者へのメッセージがあれば!

『何かやりたい』『こういう暮らしがしたい』というのがあったときに、やりやすい環境はこういう場所のほうがあるかなと思います。素材もいっぱいあるし、都会よりも人と人とのつながりがあり、何かやりたいと思ったときに、自分じゃ分からないことがいっぱいあっても、それを聞ける人がいて、しやすかったなぁと思っています。相談できる人がいるし、みんなが親身になってくれます。自分が分からなくても、この人に聞いてみろと教えてくれたり、何かしたいと言えば向こうから声を掛けてくれたり、雪が融けてきて「畑を耕すならトラクターでうなってやるよ」と言ってくれたり、雪が降れば「大変なら投雪機で飛ばすよ」と声を掛けてくれたり、薪ストーブ入れたいと言えば「あそこにいらない木があるからいるか」とか、すごく早い。 都会にいるときは、いろんな世代の人と知り合いになることがなかったけれど、ここは、いろんな世代のいろんな立場のいろんな業種の人がいるので、困ったときに聞ける人や力になってくれる人がすごく多いです。そこにうまく入って、自分のしたい暮らしに近づくのにはやりやすいのではないかとは思いますね。

この地域性でおもしろいのは、昔から、雪が降るから季節労働も多く、出稼ぎに行くこともあったこと。そういう働き方は今まではマイナスと捉えられていたけれど、今、都会や若い人の中では複業という働き方が出て来ているので、複業しやすいかなと思います。農繁期だけ人が欲しいとかもありますし、フリーで働いている人には働きやすいと思います。
都会とも行き来できる距離感があるのは、今までやっていた仕事を持ちながらの移住も考えられますよね。
また、うちみたいに結婚しているけど別々に住みたいというのも、一見変わっていると言われますけど、ここの人たちは冬の出稼ぎでは別々に暮らしていたわけで、別に新しい形ではないんですよね。ちゃんと子どもも育てているし、生活してきている。
ここは、多様性を受け入れやすい環境というのが個人的な印象です。